TOP > 民芸木工品の色について
長野県の松本で民芸が始められた頃、木工品の色について色々試されたらしい。当時、私自身は小学生であって詳しくは判らない。母や、始めから松本民芸家具に居られ今も健在の荻原小太郎さんらの話からすると、バーナード・リーチ氏の考えもあってか、着色せずに透明のラッカーだけを塗った様で、欅(けやき)の生地仕上げの椅子やテーブルが残されている。しかし当時(昭和28,9年頃)この家具はあまり売れなかったようだ。民芸木工の先進地鳥取も明るい色の木工品だけだったが、古くからある拭き漆(ふきうるし)を考えた様で、父は筵(むしろ)を張り付けた室(むろ)を造り、漆職人まで雇ってやってはみたが、費用が掛かり過ぎ断念をした。拭き漆に似た色を出す為に阿仙薬の水溶液を暖めて塗り、乾燥を待って、重クロム酸カリの水溶液を暖めて塗り、黒ワニス、ラックニス、ラッカーをサンドペーパーでの研磨をしながら塗り重ねた。ところが、何年かすると色が薄くなってしまった。そこで退色するのを見越して濃い目に着色する様になった。その後塗料の進歩か退色はほとんど無くなり民芸の色と成った。六かクロムが原因で鼻柱隔穿孔が職業病として問題になってから、労働者保護の法が出来、取り扱いが難しくなってこの方法は使われなくなり、少し明るい色に戻っている。